私と黒澤明 複眼の映像 (文春文庫)
本, 橋本 忍
によって 橋本 忍
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内容紹介 1950年、32歳のときに黒澤明監督の『羅生門』で脚本家デビューした著者。同作は、ベネチア映画祭の金獅子賞を獲得する。日本映画で初の、国際映画祭でグランプリ受賞作品となる快挙だった。 その後も『七人の侍』『生きる』などで黒澤の絶頂期をともにした日本を代表する映画脚本家が記した感動の自伝が待望の文庫化。 本書で明かされるのは、複数の脚本家を擁し、全員が同時に同じシーンを書き、競わせる黒澤組のすさまじい緊張感。この共同脚本という方式が、黒澤映画のクオリティーを高め、「世界のクロサワ」を生んだという事実。 そ当事者がはじめて明かす創作秘話は、日本映画の歴史を知るための一級の資料でもある。 内容(「BOOK」データベースより) 傷痍軍人療養所のベッドに横たわる著者が偶然手にした一篇のシナリオ。伊丹万作に師事、黒澤明との共作『羅生門』で脚本家デビューした著者が、初めて明かす『生きる』や『七人の侍』の創作秘話、菊島隆三、小國英雄の役回りなど黒澤映画の貴重な一次資料にして、日本映画界を支えた名脚本家の感動の自伝。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 橋本/忍 大正7(1918)年、兵庫県神崎郡市川町生まれ。鉄道教習所を経て応召入隊中に結核にかかるが、その療養中シナリオに初めて接し、伊丹万作のただ一人の脚本の弟子となる。昭和25年、『羅生門』を監督する黒澤明との共同脚本でデビュー。この二人を核にした黒澤組は、小國英雄らが参加した脚本で『生きる』(27年)『七人の侍』(29年)を始め、数々の映画作品を生み出した。34年、『私は貝になりたい』で監督デビュー。48年には橋本プロを設立、製作者として『砂の器』(49年)『八甲田山』(52年)の大ヒット作を送り出す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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黒澤明と小國英雄との共同作業の様子や七人の侍を書き始めるまでの経過が特に面白かったです。七人の侍を書くキッカケとなった武士の1日も素晴らしいストーリーで弁当のことはさておいて映像化したのを見てみたかった。脚本が映像の設計図という考えに驚きましたし、人物の彫り(キャラクター設定)がいかに大切で面倒な作業であると正直におっしゃってます。かつて永井豪が漫画の新人賞の審査でキャラ作りがなってないと批評することが多くて記憶の片隅にあったのが今やっとそういうことだったのかと合点がいきました。
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